御祭神
当神社には本社(豊川西町一三四番地)と元宮(豊川町仁保通)の二つの社があり、本社の御祭神は進雄命です。元宮(稲田神社)には進雄命の妃稲田姫が祀られていましたが、大正十二年(一九二三)に本社へ合祀され、現在は御旅所となっています。
御由緒
当神社は、大宝元年(七〇一)現在の元宮の地に創建。 その後、現在地に遷座したと伝えられています。古代から中世の頃には、平家の鎌倉追討使の戦勝祈願や鎌倉将軍上洛の参詣があったと伝承されています。
平安時代以後、進雄命は牛頭天王(天王)と称された祇園精舎の守護神で、薬師如来の仮の姿ともされ、厄除けの神とされてきました。鎌倉時代、津島牛頭天王社の鎮座する尾張海東郡の領主、大江一族が当地に入り、室町時代になって天王信仰が盛んになったといわれています。天正十八年(一五九〇) 豊川村が吉田城主池田輝政の領地となり、輝政は深く当社を崇敬し、刀・鞍等を奉納したと伝えられています。
江戸時代には、領主の水野佐渡守や天領代官鈴木八右衛門、さらに小 笠原壱岐守など多くの領主に保護されましたが、なかでも享保二十年 (一七三五)名奉行で知られる大岡越前守忠相が当地を所領すると、刀や灯籠、本殿修理料などが献じられました。以後幕末まで大岡家から継続 代参があり、供物が献納されました。
明治時代になると、政府の神仏分離の方針に従って、神社名を「豊川牛 頭天王社」から「進雄神社」と改 めました。さらに大正十二年(一 九二三)には「豊川進雄神社」と 改称されました。そして、昭和四 十年(一九六五) 愛知県神社庁 指定の四級社に昇格しました。